DAVE VALENTIN

 ニューヨーク・ラテン/ラテンジャズ界のベテラン・フルート奏者デイヴ・バレンティン。ユニークな奏法とオリジナリティ豊かなフレージング、お茶目なステージワーク…日本でも人気の高いミュージシャンの一人だ。ラテンジャズでは花形ともいえるフルート奏者の数は多いけれど、彼ほど笛吹童子という言葉が似合うプレーヤーはいないだろう。ホテルのロビーであろうが、カフェであろうが、フルートを「ピッ」と鳴らして、周囲の人間を脅かして楽しんでいる。50歳を過ぎている男のやることではないが、とにかくステージの外でも魅力に溢れた人物だ。
 ラテンジャズのファンであれば、手元に少なからずのCDやビデオなどをお持ちだと思うが、デイヴ名義ではないにしろ、ゲストとして登場しているものを、一枚ぐらい見つけることができるのではないだろうか。彼ほどシーンのあちらこちらに出没するミュージシャンも珍しく、これも共演者からの人気や信頼度を示している証なのだろう。しかし彼のように場数を踏んでいるミュージシャンであっても、実際にとても神経を使う共演者やプロジェクトがあるのでは?
 「特にないよ。ステージに上がるときに緊張する場合があっても、上がってしまえば何も恐れることはない。カーネギーホールのようなステージでも、共演者がどんなにビッグネームであってもだ。もちろん共演者たちにはいつも敬意を払っている。観客にもだ。どんなに身なりが悪くてもそんなことは関係ない」
 プエルトリコ人の両親のもとサウス・ブロンクスに生まれた、いわゆるニューヨリカン。デイヴ・バレンティンが、ファンサービスのためにコンガを叩いているシーンを見かけるが、ビシッとスーツを身にまとったダンディな彼には、何だか不釣り合いで可笑しいのだけれど、実際彼が子供の頃手にしていたのはパーカッションらしい。
 「そうなんだ。コンガ、ボンゴ、ティンバレス。有名な音楽学校に入学するための試験にマーチング・ドラムを選んだんだ。フルートに転向したのは、16〜17歳ぐらいのときなんだけど、理由は当時好きだった女の子の気を引くためだったんだよ。彼女にフルートを教えてもらおうとね。けど、僕の上達が速すぎたのがいけなかった。彼女は去ってしまったが、フルートが残った」
 デイヴ・バレンティン節が炸裂するインプロビゼーションで、彼が考えていることは?
 「人生さ。人は遅かれ早かれ“死”というものを考える時期がくる。僕の場合は13歳のときに母が死んで、初めて人が死ぬことに直面した。以来自分が愛する様々な人が死に、自分も腫瘍を除去したりして、生きること、死ぬまでの悲喜こもごもを考えるようになった」
 彼の手には「人生」を意味する、エジプトのマークをアレンジしたタトゥーが入れられている。ちょうどフルートを持ったときに見える位置にである。彼の人生を語る言葉にネガティブなものが多かった理由のひとつには、親友ティト・プエンテの死があるに違いない。4年経っても彼の心は癒えていないのだ。彼がティト・プエンテを語るときは、こちらが辛くなるぐらい本当に悲しそうな表情を見せる。
 「僕が育ったブロンクスでは、悪いことをやって死ぬ奴もいる。幸い神様は僕に音楽を授けてくれた。この土地で誰が信頼できるかを見極めることは肝心なことなんだ。うまいことをいってくる奴、何でもハイハイいう奴は信用できない。そういった意味ではティト・プエンテは最良の友人だった…」
 ベテランとはいえ、ティト・プエンテとは世代が違うデイヴ・バレンティンの音楽人生は、まだまだこれからも続く。彼にとって成し遂げたいこととは?
 「死ぬまで演奏していたい。音楽が人生。人生もまた音楽なんだ」

2004.4.7 at Capitol Tokyu Hotel
Interview & text: Seiji Yamaguchi
Thanks: Blue Note Tokyo, Harold Jam Morales