GEORGE LAMOND

 2001年早々、新世紀のNYサルサのスタイルを予感させるアルバムと出会った。ジョージ・ラモーン“GL”である。真っ白いジャケットに「ちょっと作ったでしょ」って感じのアイドルを意識しているヘアメイク。発売前からファースト・シングル“JURARE QUERERTE”がラジオ、クラブでヘビーローテーションで、かなり期待して発売を待った。勿論ファースト・アルバムcの出来が良かったのもその一因であるが、最近のNYラテン界の中でも突出してポップスに拘っていた感がある所も興味の対象になっていた。
 2月17日マジソン・スクエア・ガーデンで行なわれた「コンシエルト・デル・アモール」の際、マネージャーにインタビューの申し込みをしたらすぐレコード会社を通してセッティングしてくれた。こう言う状況は非常に珍しく好印象を持った。
 現在34歳のジョージ。10代後半から当時NYのラティーノスに人気のあったダンス/フリースタイル・シンガーとしてのキャリアをスタートさせ、彼の人生を変える重要な人物に出会う。ジェリービーン・ベニテスである。彼はマドンナの元恋人で彼女の成功に尽力したニューヨリカン・ハウスDJ/プロデューサーで、丁度、彼はインディアと“DANCING ON THE FIRE”をリリースしたばかりで勢いのあった時期でもあった。89年に“BAD OF THE HEART”をリリースし8万枚のヒット。その後、数枚のシングルとアルバムを3枚、スペイン語のボレロ・アルバム“CREO EN TI”をリリースし94年以降暫くシーンから遠ざかっていた。
 簡単にNYラテンの歴史を振り返ろう。80年代のNYのラティーノスは経済的にも人種的にも差別を受けその怒りの矛先が様々な方向に向き事件が多発していた。70年代にNYで産声を上げたサルサも80年代になるとミュージシャン達がプエルト・リコに戻り、NYのラティーノスは「英語でダンス・ミュージックを歌う」当時の流行に反応し、その後、プエルト・リコから聞こえてきたサルサ・ロマンティカのゆるい音とNYでの英語サルサのブレイクによって少しずつラティーノスの中のアイデンティティが目を覚まし始めた。90年代に入り、RMMの台頭と共に新世代のサルサを提示する動きが起こり始める。「ダンスフロアーからピスタ(西語のダンスホール)への移行」がそれだ。その代表例がインディアとマーク・アンソニー。仕掛け人のセルジオ・ジョージはその後も、リセット・メレンデス等を手掛けた。この動きの1人にジョージ・ラモーンがいる訳だ。
 サルサ・アルバムを作る直接のきっかけは昔からのライバル、マーク。「サルサは俺達にしかないFeelingだ。俺も作ったけど1度聞いてみな」。この一言が彼を突き動かした。その後、セルジオの弟子、ミゲル・ボニージャとスタジオに入りデモ作りを始めた。その後、偶然このデモを手にした以前からの知り合いジョン・"グンギー"・リベーラのレコード会社Prestigio Recordingsの第1弾アーティストとしてサルサ界にデビューする事になった。

 ダンス・シンガーを捨ててサルサ界に行く時、不安ではなかったか?
「勿論、不安だよ。サルサは昔から聞いていて好きな音楽なんだけど、歌うとなるとやっぱね。でも、スペイン語やサルサはラティーノスの象徴でもあるからやる意義は感じたね。マークやインディアの成功が良いきっかけになってるし。でも今の若いラティーノスは、確かにサルサというよりも周りに色んな音楽があるから好きな音楽を自由に聴いている、彼らはサルサは聴くがその歴史とかには興味が無い、スペイン語の理解度も高くない。重要なのはラティーノスであると言う意識なんだけど。だから昔のスタイルでやろうとは思わなかった。俺自身のやり方で。それは「ポップ」と言う言葉で語られてるけど、そうなのかもしれない。あのヒューイでもやってるだから。彼とは以前からの知り合いで俺のコーラスとかやってくれたこともあって」。
 この結果発売されたのが“Entrega”99年の事。1曲目“QUE TE VAS”2曲目イタリアの歌姫ラウラ・パウジーニのカバー曲“CUANDO SE AMA”などを収録し、その後、エディ・サンティアゴのデュエット集で共演を果たした際、知り合った、彼のプロデューサー、チェオ・アルセやラモン・サンチェス、クト・ソト、ホセ・ルーゴ、勿論ルチート・カバルカスも参加し新しい試みを加えた第2弾アルバム“GL”も現在絶好調と言う訳である。
 昔からの彼のファンも彼のサルサ・アルバムを聴いてくれていて、今の状態に非常に満足と言うジョージだが早くも次のアルバムについて話しを始めているとの事。「もう少しポップにするかもしれない。でも、最近、グヤカンとか聴いてるし、あー言うのも良いんだよな」と勿論まだアイデアは固まっていない。因みに彼の最近のお気に入りはジェニファー・ロペスの“JLO”。その辺のアンちゃんとかわんないじゃん。実は僕もインタビューに向かう途中聴いていたのは“JLO”だった。

2001.3.2 at Old San Juan Too
Thanks: Prestigio Recordings/ Chris Barbosa
Interview & Text: Toru Ikedo (NYC)