MIOSOTIS

 ミオソティス。1980年代の後期から1990年代の初めにかけて、ニューヨークRMMレーベルがロマンティックなサルサをブレイクさせていた頃、そのメレンゲ部門の顔だったザ・ニューヨーク・バンド(1993年に来日)のメンバーとして活躍していた歌手だ。当時からデラルス用にセルジオ・ジョージも曲を取り上げているように、作曲能力にも長けている彼女は1995年ソロ転向後、現在までに3枚のアルバムをリリース、ザ・ニューヨーク・バンドのやや控えめなアイドル歌手のイメージを一蹴し、その実力ぶりを見せつけてくれた。「急な依頼にビックリ」という4月のエル・ネグロ&ロビーでの来日も、様々なジャンルに挑んできた彼女の適応力と歌唱力を買われてのことなのだろう。
 ところで、ザ・ニューヨーク・バンドの頃は何の疑問もなくニューヨーク生まれのドミニカの人と思っていたけれど…。
 「そう、生まれはニューヨーク。父がドミニカ人で母がプエルトリコ人なの。ドミニリカンヨークね」
 メレンゲやサルサだけではなく、R&B、テハーノ、バラーダ…など、様々なタイプの曲を歌うけれど、どのような曲を好んで聴いてきたのだろう。
 「父親がメレンゲを好きだったから、幼いときはメレンゲね。グィラ(※メレンゲの演奏に用いられる金属製の楽器)を掻き鳴らしながら起こしに来るからうるさかったわ。両親がラテンだからラテン音楽はもちろんだけれど、ニューヨークということもあって英語の音楽もよく聞いていた。元々自分はサルサ歌手になるつもりはなくて、ファースト・アルバムでも色々と歌っていたのだけれど、サルサの曲が好評だったので会社が特にサルサを用意するようになったの」
 続いて彼女は歌手として影響を受けた人物に、こうした名前を挙げている。
 「ミリー・ケサダ。マライア・キャリーも好きよ。幼い頃は歌っている女性がみんな好きだった。セリア・クルースは人間的にも尊敬できる人だった。ニューヨーク・バンドでスペインに行ったとき、色々と助けてもらったわ」
 歌うことにおいて大事にしていることは?
 「歌うことには睡眠が必要。健康でいなければいけないから。もし病気になっても歌が私を治してくれる。ツアーは辛いからあまり好きではないけれど、言葉の通じない国に行っても、みんなから愛を貰って元気になれる。愛も必要ね」
 彼女の現在の最新アルバムは2000年にリリースされた、ゴリゴリ系アレンジャー、ルチョ・クエトとの好相性が印象に残る『Ardiente』。そろそろ新作が待ち遠しい頃だが。
 「いま制作中なの。今年中に仕上げて来年に発売できたらいいけれど。身体がひとつだから忙しくてなかなか思うようには進まない。番組もあるし」
 番組というのは、彼女自身が制作・進行をしている子供向けのテレビ番組らしい。
 「あとね、日本語の曲も書いたのよ。コワガッテナイデ、オドロウヨ…タノシミタイナラ、ミノガサナイデ…♪」
 と歌を披露してくれた。
 マンボ・レブロン(レブロン・ブラザース・ジュニア)共同プロデュースのもと、自身のバンドを従えて活動中という彼女。新作リリースの際にはパンチの効いた歌声とともに、その才能をフルに発揮したステージを覗けたらと思う。

2004.4.7 at Capitol Tokyu Hotel
Interview & text: Seiji Yamaguchi
Thanks: Blue Note Tokyo, Harold Jam Morales